友人紹介

今でこそ四輪駆動車は珍しくはないのですが、1970年代にはオープンの車で、四輪駆動で走る車では、三菱のジープかトヨタのランクル(ランクルはオープンは無かった)あたりの車しかなかったのではないでしょうか。特に左ハンドルのジープとしては、このJ10型だけだと思います。J10型は、1955年に一般の需要に応えフレームとボディを後方へ伸ばしたモデルで、6人乗りの左ハンドル車として販売されました。そのスペックが特徴的であり、傾斜にして35度の坂を登れるという悪路や山道を走るどちらかというと、街中での走行車両ではなくこのクラシックカーを乗っている人は、原田竜一郎君以外、私は知りませんでした。

 

全部がスチール製のため、他車と比較できないほど頑丈だということは見ても納得するほどの鉄で、できた車というしろものでした。ただ、幌もないこのジープの魅力は、外車のイメージとしてある左ハンドルと屋根がない完全オープンスタイルは、晴れた日の海沿いの街道を走るには最高の車であったことは、間違いありません。

 

この車がどのような経緯で作られたか調べてみると、三菱がウイリスとの提携による三菱・ジープとして生産したという歴史があります。その時の競争入札の結果、三菱・ジープを警察予備隊が採用しました。それから1953年からCJ3A型のノックダウン生産が始まり、全てウィリスの部品を用いたというコンプリートノックダウンの製品です。こうした経緯がある車種であるため、初期モデルにはスリーダイヤ(三菱マーク)が無かったということです。

 

その後は日本で生まれたモデルを加えて防衛庁以外にも販路を広げ、独自の進化を遂げながら1998年まで生産されたということですが、私はこの古い左ハンドルのモデルしか知りませんでした。

 

走っているときはいいのですが、クラシックカーであったため止まると次に動かすことが非常に、大変であった覚えがあります。原田君が乗っていたこの車に限ってのことでしょうが、よく一度止まるとエンジンが掛からず、修理の人を待つことがあった記憶が残っています。ジープのイメージは戦争車両というイメージがあり、この車に乗るとアメリカのテレビドラマ「コンバット」を想い出し、テレビで流れる音楽のメロディーを口笛で吹いたものでした。

 

それに、原田君も私もあの時代に長髪で、肩まで髪を伸ばした男二人がジープに乗っていると噂になったことも想い出します。今ではSUVブームであり街中を多くの四輪駆動車が走り、そのスタイルも洗練されて戦争のイメージは微塵もなくなっていますが、まだまだ1970年当時はベトナム戦争もあったことで、反戦の意味もあってわざわざ、あの古い三菱ジープJ10型を目立つように乗ったのでした。

続きを読む≫ 2014/05/05 11:23:05

1970年代の地方大学生にはとっては、欲しくてたまらない車がクラシックカーのカローラレビンTE27でした。特に私の故郷の近隣にあるトヨタの本社がある地方では、このカローラレビンが登場した時には、誰しもが欲しがる車になったものです。

 

トヨタカローラは多分最も復旧した大衆乗用車であり、経済性、安定感、普通に乗るには良い車というイメージが定着していたのだが、このレビンはカローラがスポーツタイプを生産したということで、その当時の20代に大きくアピールする車となりました。都会の交通機関が発達したところに住む人達には、分からないでしょうが地方に住む学生は、車がなければどこにも行けないという状況でした。今でもそんなには、変わっていないだろうが都会よりも地方での車需要は絶対的に多いと考えられます。

 

カローラに乗っていても誰も興味を持ってもらえないがこのカローラレビンTE27に乗っていれば、「おっ、レビンか!」ということになります。何と言ってもその一番の特徴は、オーバーフェンダーが特徴的で外見の様子が違うことに最初に惹かれたものでした。そのオーバーフェンダーがスポーツカーとしてのイメージを彷彿し、カッコイイと言うことになっていました。1972年発売当時のスペックを調べてみました。当時としてはかなりのハイスペックなのかなと思ってみてみました。もちろん、私も当時のクラシックカーに関心を持っていたのですが、原田竜一郎君の熱には負けてしまうなぁと思っていました。

 

軽量ボディでありながら、高性能ユニットをもあわせもっているTE27。さまざまなモータースポーツシーンで活躍した人気の車種です。当然のことながらラリーでの活躍はめざましく、国内ラリーでは80年代の最初頃までは大絶賛されていました。2T−Gはチューンの幅の広いエンジンが特徴。少しいじっただけでも最高レベルとしては、160馬力まで記録できることが特徴です。

 

やはり、車をいじることが好きな者には、最高のものだったと言えるでしょう。原田竜一郎君は、車をいじることが好きでこのレビンのチューンをするのが、彼の趣味といってもよかった程です。レビンに乗せてもらうとそのエンジン音は、ツインカムのメカニカルノイズに加えてソレックスキャブレターが持つ独特の吸気音が奏でるハーモニー。それは最高クラスのサウンド。走っているだけで、自分がレースに出ているような気分になれる車でした。70年代に学生時代を送った人達であれば、懐かしの名車であることは間違いないでしょう。

続きを読む≫ 2014/05/05 11:22:05

29歳で結婚を決めた私は、当時まだ車を持つことを考えていませんでした。横浜の中区、交通の便が良いところにアパートを借りていたこと、バイクを持っていたことで車はもっぱら会社の自動車を使っていました。

 

私の勤める会社は大学時代の先輩が起こした従業員一人(私)と社長(原田竜一郎先輩)の二人の会社で、車も自由に使わせてもらっていたからです。1980年4月に会社を興した先輩は、すぐに私に声を掛けてくれ、私もその年の5月には彼の会社に就職しました。仕事は大型重機の輸出入の貿易会社であり、以前先輩が勤務していた会社の仕事関係のある分野を、そっくり持ってきて仕事を始めたという状態でした。

 

当時はPCなど無く海外とのやり取りも、テレックスが一般的でありそのテレックスを扱う研修に行かされたことが懐かしく思います。仕事を始める中で大手の電気メーカーへ営業を兼ねて二人で良く訪問し、そこで知り合った彼女と結婚を決めたのが結婚の道筋です。

 

結婚するとなると今のアパートでは彼女の勤める品川までは遠く、その関係から丁度中間地点である東横線沿線のとある駅近くにアパートを借りました。どういう訳かその長屋のようなアパートには、駐車場が付いており車が1戸に1台置けるという古いが便利なアパートで、駐車場もあることから車を買おうと彼女と話、結婚祝い金のあまりを資金にして20万円そこそこで中古の「ホンダシビック」を購入しました。

 

何が良くてこの車にしたかと言えば、安かった、友人が進めてくれたの理由以外に他なりません。ただ、彼女の実家が小田急線沿線にあったため良くこの車を使って実家に夕飯をご馳走になりに行っていたことを想い出します。

 

シビックの評判は当時誰もクリアできないと噂されていたアメリカの1970年代の新排ガス規制法を最初にクリアしたCVCCを搭載した乗用車であり、今やクラシックカーです。取り回し/経済性/信頼性/環境適合性などが高い次元でバランスが取れている車であり、このシビックは、当時ホンダが立たされていた経営危機を救っただけでなく、日本車メーカーとしての地位を築くきっかけにもなったということを、聞いたことがあります。

 

特にそのころは、車に興味があった訳でもなく、乗れればよいと購入した車ではありましたが、新婚当初の私達にとっては休日の足として、また時々いった日光へのドライブ旅行の友として結婚後2年間よく私達と一緒にすごしてくれた懐かしい日本の名車と言える車です。

続きを読む≫ 2014/05/05 11:21:05